敬老手帳

2018/04/07Note

昼過ぎごろ、相方が何やら分厚い封筒を持ってきた。表書きに【敬老パス制度案内在中】とある。ついに来た。てっきり、誕生日の間際にくると思っていたので、いささか驚いたが、いさんで開封。真っ先に出てきたのが緑色に輝く【敬老手帳】である。

他には、敬老パスに関する案内と、二十日過ぎが提出期限の同意書が同封されていた。普段なら、締め切り間際にならないと動き出さない私だが、すぐさま同意書に記入して、いそいそと投函しに出かける。何とも解りやすい性格だと、相方から揶揄されそうだ。

これで、手続が済んだのち、何がしかの金額を納めれば、3ヵ月後にやってくる誕生日の前日から一年間は、市営の交通機関が無料で乗り放題になる訳だが、それ以上に嬉しいのは、市営のスポーツ施設がワン・コインで利用できることだ。私にとって、これが一番嬉しい役得である。

週に2回、それも軽く汗を流す程度の運動をするために、安くはない金額を月々支払う民間の施設に比べれば、これほどお値打ちなことはない。私の年齢を考慮すれば、ハッチャキにトレーニングしたところで、さしたる向上は望めない。天秤にかければ、やり過ぎからくる弊害の方が大きいのだ。

私の年齢なら、現状維持を目標にすればいい。やらなければ確実に下降線を辿るので、現状維持は上昇と同じなのだ。これは、過去にやりすぎて故障した、苦い経験から学んだ知恵である。

閑話休題。

私が名古屋市の住民となったのは数年前である。居所としてなら10年以上になるが、拠所ない事情により、本籍地の住民のままにしてあった。この地で営々と暮らしてこられた方々からすれば、まったくの新参者である。そんな私が、このような恩恵に与っては申し訳ない気もする。

謗(そし)りがあれば免(まぬが)れないだろうし、甘受する心積もりもある。それでも、はじめて手にした緑色の手帳を眺めては、ほくそ笑んでいる自分に気づいたりもする。

【老い】をひけ目に思うことほど、馬鹿げたことはない。誰でも老いる。何人(なんぴと)もそれを避けては通れないのだ。だったら、甘んじて受け入れ、笑い飛ばしてしまえばいい。【若く見える】と【若作り】の違いさえ解っていれば、容易(たやす)いことである。

私が、人生の達人として敬愛する御仁の名言【負の遺産を接受できる度量こそが、達人たる所以である】を肝に銘じながら【老い】を公に認められた、お墨付でもある、この手帳を片手に、先ずは、プールでひと泳ぎしようかと思っている。

Note

Posted by Haru