贅沢な別れ

付き合っている彼に愛想が尽きて別れ話をするときは、美容院で彼好みの髪形に変えてから臨むという女性のツイートを読んでいたら、昔の物語を思い出した。

別れ話は、切り出すものではなく、切り出されるものだと思いこんでいたころ。つまりは、振られた想い出しかない時代が懐かしく蘇っている。

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TVから湧き上がった歓声に振り返ると贔屓のチームが同点に追いついたところだった。
カメラはシュートを決めた選手がグランドを駆け回る姿を追っている。後半の残り時間20分で同点。俄然面白くなってきた。

「よし!」典子は小さく拳を握った。

今シーズンは優勝との前評判が高かったチームは低迷していたが、ここにきて復活の兆しをみせはじめている。このゲームを落とす訳にはいかない。遠く海を隔てたイタリアのサッカー・リーグとはいえ、自然と力が入ってしまう。

典子は、このとき初めて自分が何も身に付けずにTVの前で仁王立ちしているのに気付いた。出かけるためにシャワーを浴びたところだったのだ。

時刻を確認する。出かけるまでにあと30分も無い。今夜は典子にとって大切な夜だ。遅れる訳にはいかなかった。

シャワーの火照りが治まった身体に、真新しい下着を一点ずつ付けていく。

下着としての要素を失って下半身のアクセサリーと化したスキャンティー。乳房をそのまま忠実に浮き立たせているブラジャー。その上には大胆なレース使いのスリップを重ねた。

色はすべて黒。上質なシルクの肌触りが心地よい。

イタリア製のこの下着だけでひと月分の給料が飛んでしまった。それどころか、典子は夏のボーナスをすべてつぎ込み、今夜のためだけに半年を過してきたのだ。

スポーツ・ジムで身体を絞り、エステティック・サロンにも通い、今では肌の色艶やスタイルもあの頃とは見違えるようになっている。

すべては一本の電話から始まった。

「彼と別れていただけないかしら」

知的な声で物静かに話す女。はじめは彼の妻かと思った。しかし、すぐに自分と同じ立場の女だとわかった。それも自分より数段長い関係のようだ。それが女の話し振りに余裕となって現れていた。

そのことを含め女の話すすべてが典子には腹立たしく、そして、耐えがたいほど理解できた。

典子は数週間悩みぬいた末、ありのままを彼に打ち明けた。

彼に浮かんだ困惑の表情。それは確かだった。でも、典子が瞬きをした刹那、それは消えていた。そして、いつもの穏やかな口調で返してきた答えは、典子の予想と寸分違わぬものだった。

「3人とも愛している」

この言葉に嘘は無いだろう。彼にはそれができるし、そんな彼に惹かれている部分が典子のどこかにあった。理屈では納得できる部分。しかし、そこに小さく芽吹いた思いがあった。

それは、彼の妻に対しての嫉妬ではない。自分と同じ立場の女の存在が許せなかったのだ。

彼女が彼と寄り添う光景を思い浮かべただけで起こる狂おしい嫉妬と揺らめく淋しさ。それが日を重ねるたびに育ちつづけ、やがて自分を苛(さいな)み始めたことに気付いたとき、典子はやっと決意することができた。

今夜の飛び切り贅沢な別れを。

典子は白いシルクのスーツを身に着けた。オーダーしただけあって身体のラインを美しく引き立てている。小ぶりでも等級の高いダイヤを散りばめたチョーカーと揃いのピアスは、すべて今夜のために揃えたものだ。

都心のホテルのスィート・ルームを取り、ディナーのコース料理も特別にオーダーしてある。すべてを彼の好みのものだけで揃えた。

「彼のことなら何でも知っているわ」 電話の声が響いてきた。

「でも、今夜はわたしの勝ちよ」 打ち消すように典子は呟いた。

最後の仕上げにコロンをつける。グッチのラッシュ。男物のコロンだが、自分自身に元気を与えたいとき、典子は決まってこれをつけてきた。

姿見で最後の確認をしていると、TVから歓声があがった。振り返ってTVを観た。ゴール前で二人の選手が倒れている。駆け寄ったレフェリーがPKを宣言した。

残り時間はロスタイムだけだ。これが決まれば勝利は間違いない。FWの選手がゆっくりとボールをセットしている。

出かける時刻になっていた。

「そうよ、あなたは反則を犯したの。だからPK!蹴るのはわたし」

典子はバッグを手に玄関は向かった。磨き上げたパンプスにゆっくり足を通したとき、TVから歓声があがった。それを背中で聞きながら、典子は扉を閉めた。

 

※ これはフィクションで実際のmy Styleとは関係ありません。たぶん。。。