老眼鏡

2018/04/08Note

私はメガネ好きである。

それも、メガネをかけている女性ならばすべて美しく思えてしまうのであるから、殆どフェチの領域といってもよいだろう。

しかし私の目は、夜更かしや読書で酷使したにもかかわらず、いたって健康そのもので、メガネのお世話になる必要はまったくなかった。それでも四十路も半ばにさしかかったあたりから、人並みにぼちぼち近場が見え難くなってきた。

「さては老眼っ!」 とばかりに、勇んでメガネを誂(あつら)えることにし、近くのメガネ屋へはせ参じた。普通ならばここで歳を感じ気が滅入るところだろうが、そこはメガネ・フェチ、心は無性に弾んでいたのである。

検眼を受けている最中も、「やはり老眼ですね」と宣告されたときも、左眼に軽い乱視があると、この歳になるまで知らなかった衝撃的なことを告げられたときでさえ、心は限りなく弾んでいた。

これで大手を振ってメガネをかけられる。これまでのような伊達メガネではないのだ。その感動は、あれやこれやとフレームを物色するうちピークに達し、老眼鏡の値段が、どこにでもブラ下がっているお洒落サングラスの数倍もすることを知ってからでさえ、尚も続いていた。

やがて2、3日して念願のメガネが届いた。早速かけてみる。何と、そこには別世界が広がっているた。どの本を手にしても、開くページすべてがくっきりはっきり見える。天眼鏡(大振りの虫メガネ)を片手に四苦八苦していたのが嘘のようなのだ。

無性に嬉しくなり、辞書で「繭」「藁」などと用もないのに画数の多い字を引いては独り悦に入ったり、どれだけ小さな字を判読できるのかを確かめたりと、暫らくは歓を尽くす日々を過ごしたものである。

そうこうする間にメガネの枠の具合がおかしくなってきた。固定してあるネジが緩んだようだ。そういうときのためにと、小さなドライバーをサービスで頂いていたのを思い出し、早速修理しようとしたのだが、そこで恐ろしいことに気づくことになる。

焦点がぼやけてネジを回せない。なっ、なんと、老眼鏡を修理するためには、もうひとつ老眼鏡がいるではないか!

世の中には1つあれば充分なものと、2つあれば便利なものがある。

今は滅多にないが、一昔前はよく停電した。突然の暗闇の中、手探りでどこかにしまい込んである懐中電灯を探すときなど 「こんなときもうひとつ懐中電灯があらば。。。」 などと思いつつ 「高いものでもないし、あとひとつ買っておくかな」 と考えたところで、はたと気づく。何も懐中電灯で懐中電灯を探す必要などないのである。あれはひとつあれば事足りるのだ。

今、私のまわりには無数の老眼鏡が転がっている。

 

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Posted by Haru