粋と野暮の、さじ加減

2018/04/09Note

同じ事をしても、粋に感じられる方と、野暮としか映らない方がいる。その違いはどこからくるのだろう。

そこには、料理の味付けと同じように、口では表せない微妙なさじ加減が欠かせないようだ。常々、粋な生き方をしたいと願っている私としては、大いに気にかかる部分である。

商売柄、酒呑みの方々と触れ合うことが多い。その中には、粋な呑み方をなさる方も、二、三方お見受けする。

失礼とは思いながら、その方々の呑み方を観察させていただきながら、自分の糧(かて)としているが、まだまだその方々の域には程遠く感じているのが現状では、何とも情けない限りだ。

そんな私ですら、無粋(ぶすい)に感じてしまうことがあった。否、粋とか野暮の次元ではなく、酒飲みにはあるまじき失礼この上ない行為だった。

しかし、それをとやかく言う立場ではなかったので、その場は黙って見過ごしたのだが、その夜の酒がいい酒ではなかったのは言うまでもない。

Note

Posted by Haru