感動の押し売り

近頃の世情で気になっていることがある。それは、何かにつけ、やたらと【感動】することなのだ。
 
この動画を観たときにも、何に【感動】するのかが判らなかった。子供の弁当を親が作るのは当たり前のことだろう。たとえ、それが父親だったとしてもである。

私も娘と息子の弁当を作っていた。年数にすれば9年間である。娘が高校を卒業する日に『パパ、長い間お弁当をありがとう』と言われたときには、少しだけウルっとしたが、それだけである。

まだ息子の分が3年残っていたし、私自身が、当たり前のこととしてやっていたので、それを感謝してくれたことが嬉しかっただけなのだ。

それを他人が見て、どのように感じられるのかは、私が関知する領分ではないが、仮に【感動】などされようものなら、汗顔の至りでしかない。

まっ、この作品を観ていないので判らないが、もっと別の視点で【感動』を与えてくれるていることだろうとは思っている。

それでも、私の年代で言えば【感動】とは、最上級の賛美であり、それ以上のものは無いので、当然のように、やたらと【感動】などしないのである。